どうせ読まれない最初の記事なら何を書いてもよかろう。
ということで、このサイトを立ち上げた目的や理由を述べることとする。
サイト開設の目的
まず、「解ける国語」というタイトルからお察しの通り、この記事およびサイトは
「中高生」を対象とした「受験国語の攻略法」を記す場である。
これを伝えることを通して、受験国語に悩む人の役に立つ(あわよくば少し儲ける)ことが目的である。
具体的には、
- 国語の点数に伸び悩みを感じている
- 国語の点数が安定しない
- 国語の点数は取れるが、なぜ取れるのかわかっていない
- 文章内容は読めているはずなのに設問が解けない
このように感じる人々の特効薬となれたら僥倖である。
サイト開設の理由
もちろん、先に語った「少し儲けたい」という心理は背景にある。
ただ、それだけかと問われるとそれも違う。
日々、児童生徒の国語指導をしていて、
「いかに感覚的に指導されているか」「いかに国語に割く費用が少ないか」
を痛感したからだ。
これらに少しでも働きかけたいと思った、それが開設の理由である。
前者について。
「読めばわかる」「そういう意図で書かれている」「〇ページ△行目に書いてある」
このように指導者から返答されたことはないだろうか。
また、自分で読解していて、そのように根拠の説明をしたことがないだろうか。
これらは、その読者ないし解答者の感覚で導かれたものであり、論理性に乏しいと私は考える。
論理性の乏しさが再現性の低さに結びつき、得点の不安定化をもたらすことは想像に難くない。
もちろん、日常で用いている言語である場合が大半であろうから、その感覚を生かすこと自体は私も賛成である。中にはそのようにしなければ解けなかったり、その方が速かったりする場合もある。
しかし、それをどの文章どの設問にも当てはめることが「指導」であり「学習」かと言われたら、答えは否。
正解を一つ(ないし限りなく一つに近い形)に制限する必要のある受験問題において、感覚で導くような設問はクレームの的だ。それを避けるという意味も含めて、作問者は基本的に論理で解けるように作っているのである。
そして、その論理を受験界隈でさえもなかなか習うことができないのが現状なのだ。
これは学習者の落ち度ではない。はたまた、辣腕の指導者に会えなかった運の悪さで片付けるのも違う。
だからせめて、その状況を打開したいと願い、検索した人くらいは、論理的読解に近づいてほしいと、そう思ったわけである。
その手伝いくらいなら、できるのではないかと、思ったわけである。
後者について。
教育産業に金を払うとしたら、やはり筆頭は英語、次いで数学だろう。
近年は特にこの二科目の需要が高い。文系でも数学を求める大学や学部が増えてきた。
そうなったとき、母国語であり、時たまそれなりの点数の取れる国語は、蔑ろにされがちである。
LINEのオープンチャットで対応した相手の中には、「塾や予備校で対策したいが、他科目だけですでに予算オーバーだ」という人も多くいた。
国語は優先順位を低くされやすい教科なのである。
とはいえ、そのような人が、国語の学びを諦めることになるのは、どうにも釈然としない。
私からしたらお門違いの、傍から見たら偽善ともいえるような苦みを感じる。
国語を学びたくても他を優先しなきゃならない、そんな人がこれを読んで実力をつけてくれたら、この苦みも少しは消えるだろう。そう思ったわけである。
結びに。
この記事のために大切な時間を割いてくださったこと、感謝申し上げます。
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